仲屋風水デザイン
かごめ歌→結界→結界跡→龍脈から・・・
ナカヤです、こんにちは!
今回の風水ブログは、風水で読む「かごめの歌と都市伝説と東京の結界」その7です。 「結界編」も今回で最終回。 それではその6の続きから・・・ 初めての方はこちらから(その1) 私「・・・と、まぁ風水の歴史的な流れといいますか、ものごとと始まりと終わりはこんな感じで繰り返していきます」 T「100年先までとか考えないなぁ(この先生、話し長過ぎかも)」 私「実は私も同じです。そう考えると昔の人は偉いですね。私も陰陽五行に携わったお陰で少し位ならは分かるようになってきたのかも」 T「ご謙遜を~♪でも、しくみや原理が分かると色んなことが分かりますね!ねぇ先生、もしかして今も結界呪術は受け継がれていますか?」 私「神社仏閣以外にも?」 T「そうです。東京とかで。スカイツリーとか怪しくないですか?」 私「それは調べてなかった。高い建物は結界の最重要施設ですからね。よし、それじゃぁ早速調べてみましょう」 T「やった!ワクワクしてきた」 と、こういった会話の流れから、非常に粘り強いお弟子さんのTさんと私は、いよいよ現代の都市伝説、東京の結界呪術に気づいていきます。それでは当時(たしか2011年)のお話です。 今も受け継がれる結界呪術
現代に息づいている呪術の体系。
その謎を解くためには、直線と三角形の結界を今も実際に使われている建築物から探し出し、検証してみる必要があります。 東京都心にあらわれた高層建造物、スカイツリー。このアジア一高い電波塔は、たまたま偶然にその場所を選定したのでしょうか。 山の山頂や塔などは結界では重要な役割を果たします。 古来より伝え残る直線や三角形の呪術の体系を無視せずに、何らかの意図があって建てられたのではないかと考えた私たちは、周辺を調べてみることにしました。 東京タワー。それから皇居。皇室のお家が重要なのは、我が国のまじないの総元締めでもあったことからです。目立つ建物はあと明治神宮。この辺りの施設の位置と、その周辺の他の高い塔やポイントとなる場所から三角形を求めればおのずと結界の答えが出てきます。 皇室は今も日本そのものの祭祀を執り行うの代表的な存在ですし、結界呪術は歴史的にも皇室の祭祀とは切っても切り離せない関係にあります。 私たちの持つ道具は、陰陽五行からなる易の原理と地図。そして与えられたヒントは歴史的な結界を物語る遺跡と神社仏閣です。 スカイツリーの結界を確認する前に、建てられる前はどうだったのか、土地の歴史を検証してみます。 もし、スカイツリーが結界としての機能を果たしているのであれば、その前にも結界は存在しているはず。つまり、力のある場所、権威者が住まう所だったと推測できます。 それでは、まずは皇居宮中を中心に結界を探していくことから。 上空10数キロのグーグルアースがその答えを教えてくれました。 60'Sの東京の結界
ここからは、ちょっとした年表が必要になってきます。
現在の皇居は、元々江戸城があった敷地内に移されたものです。 元々江戸城の敷地内で祭祀が執り行われるようになったのは1871年以降のこと。 皇居にまつわる結界を探す場合、当時の祭祀の場を中心に考える必要があります。 今とは祭祀の場所が変わってしまっているのですね。 かつての祭祀はどこにあるかというと、それは宮中三殿賢所(きゅうちゅうさんでんかしこどころ)です(以下、賢所と略します)。 まずはここををひとつのポイントとして探していきます。 昔は山の他にはほとんどが平屋で目立つような建物もありませんでしたが、今の東京は違います。 現代の都市で結界を作るには、山頂のかわりにできるだけ高い築物、大きな建物が必要となります。 そうやって調べていくと、最初に目立つのが、賢所、明治神宮、東京タワーを結んだ二等辺三角形、おそらくこれが戦後最初の結界であることが分かります。 東京タワーの前は増上寺の敷地
なお、東京タワーの前には何が建っていたかというと、それは増上寺というお寺です。
ちょうど敷地には「紅葉館」という高級料亭だったとのことです。そして増上寺は皇室と深い縁があります。 増上寺には将軍家茂公の降嫁された和宮親子内親王(かずのみや・ちかこ・ないしんのう)の菩提が弔われた(お墓がある)場所です。 それはちょうど京から江戸へと遷都した江戸末期から明治のはじまりのお話です。 当時、和宮内親王は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たるひとしんのう)との婚約を破棄され、公武合体のために将軍家茂へ降嫁したという悲しい物語があります。 さて、図から増上寺がとても見晴らしの良い場所にあることがわかります。これは結界の頂点として使うこともできそうです。 ところでこれは偶然ですが、私が開業している店があるお屋敷「練(れん)」は、有栖川宮の別邸ではないかと、その候補のひとつにあげられています(現在は登録有形文化財)。このようなつながりにも少し縁を感じます。 結界の基本は直線と三角形
さて、話を元に戻します。東京タワーと明治神宮、そして皇居を結ぶ三角形の結界、60'Sの東京の結界です。
東京タワーは1958年に竣工しています。 これはおそらく崇徳天皇慰霊祭が執り行われる1964年に間に合わせるために計画された結界であろうと考えられます。 慰霊祭は皇室にとって最も大切な欠かせない祭祀のひとつであり、特に崇徳天皇を慰霊することは天皇家の霊的な力を強める呪術的な意味合いも大きいと思われるからです。 ところが、折角出来上がった結界に新たな動きが見られるようになります。 それは、1978年に竣工した池袋サンシャイン60。 この高さ240メートルの高層ビルを頂点として、そこから賢所と明治神宮を結ぶと、より規模の大きな新しい二等辺三角形の結界が生まれるのです。 サンシャインビルの完成は、東京タワーの竣工からちょうど20年目にあたります。 偶然か必然か、これは伊勢の内宮の遷宮と同じ20年周期の間隔が空けられています。 いったいどうして出来上がった結界とは別に新たな結界を作ったのか? 調べると、それにもきちんとした理由がありました。 その理由は、祭祀の場所が変わる計画があったからです。 池袋サンシャイン60の竣工するより少し前に、新しく皇居敷地内に新宮殿が造営されています。 それによって祭祀の場所も、賢所から新宮殿へと移されます。 ところが、60'Sの東京の結界は、三殿賢所から今の新宮殿の位置に移ってしまうと形が崩れてしまいます。 そこで、新しく三角形の頂点として池袋サンシャイン60を建てることで、賢所でも新宮殿でも、どちらにも結界が張れますので、問題が解決されるのです。 つまり、池袋サンシャイン60は、ふたつの祈りの場所を見事にカバーする結界として、その場所に建てられたことがわかります。 よって、池袋サンシャイン60が新たに結ぶ三角形はふたつ。 ひとつめは明治神宮~三殿賢所を底辺とする二等辺三角形、そしてふたつめは明治神宮~新宮殿を底辺とする二等辺三角形となります。 70'Sの東京の結界東京の結界は長期プランが立てられていた
いったいいつからこんな結界の計画を立てていたのか?
新しい祈りの場、新宮殿建設の計画会議が行なわれたのは、東京タワー竣工の次の年の1959年です。 新宮殿が竣工したのはその9年後の1968年。 1978年に竣工したのが池袋サンシャイン60。 建物すべての竣工年が、結界を崩さないように順番通りに計画されています。 いったいいつ計画されたのか? おそらくそれは、新宮殿建設の計画時、1959年です。新宮殿を建てる時、一緒に結界まで考えておかないと祈りの力が弱まってしまうからです。 ふたつの結界を完成させるための理由も同じ。常に祈りの場に結界を張るためです。 祈りの場と結界はワンセットとして考えられていることがここから理解できます。 新宮殿の不可解な謎
ところで、新宮殿が落成した当初、ひとつの謎がありました。
それは建物群の角度です。 方位を見れば、新宮殿はすべて北に対して十数度傾いた角度で建てられています。 普通、直線の良好な風水ポイントを探す時は、山の頂上から子午線上(真北)に沿って建てられるか、伊勢の内宮が遷宮(定期的に新たに建てなおされる)する時のように、結界ポイントの東西線に沿って建てられます。 そうすることで龍脈の流れの気を受けることができるからです。 ところが、これらの建築群がどうして十数度ずらして建てられたのか、当然結界のセオリーからも外れていますし、スカイツリーがあらわれるまでは誰もその理由に気づくことができませんでした。 すべては新しい祈りの場のためにある
2012年、いよいよ東京スカイツリーが竣工します(もうしましたね)。
スカイツリーは明治神宮と賢所を結んでも二等辺三角形にはなりません。 しかし、東京タワー、サンシャイン60、東京スカイツリーという三つの高層建築物をそれぞれ頂点として三角形を結んだ時、ほぼ正三角形に近い二等辺三角形ができあがります。 そしてそこから、東京タワーを頂点として三角形の垂線を引いた時、その直線はみごとに新宮殿を通ります。 そこでようやく先ほどの新宮殿の謎が解けます。実は新宮殿には、最初からスカイツリーを含めた大がかりな結界が張られる計画が立てられていたのです。 なぜなら新宮殿の建物群の角度のずれがあることで、巨大な三角形の垂線が真っすぐ突き抜けるようになるからです。 つまり、建物群の十数度のずれは、結界の力を真っすぐ受け取るためにどうしても必要な角度だったのです。 そして新宮殿が完成した後、現在も重要な祭祀はすべてそこで執り行われています。 53年がかりの念入りな結界計画
よって、現在のこの巨大な三角形の結界は、53年がかりで計画されていたことになります。
つまり、新宮殿の建築計画があった1959年の段階で、現在のサンシャイン60とスカイツリーがある場所に、何らかの高層タワーを建てることをあらかじめ決めていたのです。 新宮殿の北に対する十数度のずれを説明できるのは、唯一この巨大な三角形の結界からの垂線以外にはありません。 ここまで気づいた時、日本にとって皇室がいかに重要な存在であるか、そして、我々一般人にとっては想像のできない(誰からも教えてもらえない、なぜならその重要性が理解できないと見限られているから)守りの結界の中、今も皇室によって執り行われ続けている祭祀がどれほど大切に考えられているのかを、はっきりと感じとりました。 2000年を超える伝統は、儀礼以外にこのような結界装置も伝え残しています。それどころか、実際に建築物を計画的に建てて実践しているのですね。 この現代の巨大な結界呪術は誰に公表されることもなく、1959年の新宮建築計画以降2012年の東京スカイツリーの竣工まで、53年の間、密やかに完成を待ち続けていたのです。53年というのは社会では2世代の現役が必要な年数です。 そして2012年、スカイツリーと共に祖霊廟である大神宮の結界が完成しました。それは、現代の祭祀を執り行う新宮殿の巨大な三角形と垂線による呪術結界です。 古来2000年以上にわたる伝統的な祭祀を守り続け、世界で最も長く、唯一途切れることなく続いているのが我が国の皇室です。そして、古来より続く結界も、そしてその理論も今なお生き続けています。それは他の国が真似したくても真似できないことです。大切な宝ものですね。 そして今回の発見、三角形の頂点ではなく垂線上に見られる東京の結界(イヤシロチライン)は、おそらく藤原京をモデルに考えられたものだと推測できます。 東京結界のまとめとして
以下、まとめの会話。
私「気づいちゃいましたね・・・」 T「先生、私怖いです」 私「はい、怖いです。おそらく、その道に詳しい協力者と何らかの大きな組織が働いているのでしょう。宮内庁単独でもできることなのかどうか・・・。いやはや、ここまで知ってしまうことになるとは」 T「根本の理屈やしくみを知ると、色んなことが透けて見えるんですね・・・」 私「そうですね。知りたいことだけじゃなく、それ以上に知ってしまうことがあります。私たちのお仕事は、常に何らかの覚悟が必要なのだとあらためて感じました」 T「先生、これからどうしましょう?」 私「うーん。とりあえず私はこれをオカルト雑誌に投稿してみようかと思っています」 T「おぉ、実験ですね!」 私「そうです。世に問うて見ようかと」 T「面白―い♪やりましょう、やりましょう!」 私「・・・(それにしても、このお弟子さん、怖いかも)」 と、いうわけで、結界のお話はこれにておしまいです。 この結界にまつわるお話が、ひとつの陰謀論なのか都市伝説なのか、はたまたそうでないリアルなお話であるのかは、各自のご判断にお任せいたします。 なお、オカルト雑誌への投稿は見事に落選しました。少し調べなおせばほぼ毎年当選者なしでしたので「何だこれは、情報収集のためだけかいな!」と、当時は厳しいツッコミを入れていました。 私が落選したとしてもせめて最優秀作品があれば読めるのに・・・と、某雑誌のオカルトに向き合う姿勢に当時はがっかりしてしまった記憶があります(以後購読をやめてしまうほどに)。 ですがそれもまた、過去の酸っぱいブドウのお話。 そのお陰でこうやってネット上で公開に踏み切ることが出来たこともありますので。 今ではどれもこれもみんな感謝できるようになりました。 都市結界の追伸
これを書く今は、2019年です。読み返してみれば、あれほど心配することはなかったなぁと思います。ちなみに当時心配していたのは、このような情報を政治的に利用されることでした。
例えば唯物主義に傾倒している人たちにとって、伝統や歴史的なものに価値を見いだす人はほんのわずかです。唯物主義者でなくても、自分の凝り固まった思想やそれらの利益に固執し、しかも自分の思想や目的を隠し通し、さも我々は政治の被害を受けているとコントロールしようとする人。つまり扇動です。そのような人が実際にいます。本当の扇動者は上手に隠れています。そして扇動を真に受けた人が声を大きく上げて表に出ます。これらはすべて政治的な利益が絡んでいます。忘れてはいけないことは、どのような情報も何らかの利益が必ず関係しているという事実です。単純な善悪だけの判断では時に目が曇ってしまい、扇動者に巻き込まれてしまいます。扇動者に誠実さはありません。 今や多くの人々が賢くなっています。知恵ある人は、誰かが発する言葉に政治的な意図があるかどうかを簡単に嗅ぎ分け、耳にした情報が信頼に値するかどうかを判断できる時代です。 さて、東京の結界もさまざまな論がネットにあふれるようになりました。それはきっとテレビの影響でしょう。そしてこの結界論も検索結果の中に埋もれています。ただ、他の論に我が国の歴史的な結界の推移まで考えられたものを見つけることができませんでした。私の論も完璧とはいえませんから、期待していた分そこが少し残念でした。 中にはただ不安をあおり読者を怖がらせる目的で書かれたようなものもありましたが、それはそれで楽しめました。色んな結界論を読んでみて「意外な発見があって面白い」というのが1人のオカルトファンとしての正直な感想です。結界ひとつ取ってみても、楽しみ方は読み手それぞれに委ねられています。 簡単にまとめれば、そもそもの結界(あるいは良地)は、高い場所同士を結んだ南北の線上にはじまっています。つまり、結界線は遮るものがないこと。それが高い場所であればあるほど遠くを見わたせますので、おのずと結界も広がります。実際に目に見えることがまずは大切なのは、イヤシロチラインが届くかどうかがはっきり分かるからです。これが良地を見る際の大切な条件です。風水で都市を選ぶ際に、後ろに山が見え川が流れている場所が必ず選ばれるのは、そこに良地があると分かるから。もちろんその反対に谷間や峰の低地を結んだラインは、別の意味でオカルト線となり得ます。ケガレチラインです。 最後に、都市に暮らす私たちにひとついえること。それは、自分の暮らしが不幸であればそれを誰か他の人や社会、あるいは国のせいにしがちだということです。その反対に、自分の暮らしに満足できていれば今のままで良いと考えるのが人の半ば機械的な反応です。つまり世の中や他者はすべからく自分の鏡として機能しています。 また、そう考えれば貧しさは社会全体の問題ともいえます。貧しさの中ではどうしても心の荒んだ人が出てきます。ただ、そればかり言うと自助努力を忘れた不幸な人がそこに乗っかっちゃうことがありますが、それには何か大きな違和感を感じます。 私はもっとまわりを信じたい。自分を応援してくれる人を信じたい。 ですので、私達はひとりひとりが、毎日を幸せに感じられるよう、これに努力を惜しまないこと。それが生き残るためには大切なことだと考えています。 資料と文献
風水で読む「かごめの歌と都市伝説と東京の結界」
参考文献、主な資料(著作物/著者/出版社)同不順 淮南子/楠山春樹/明治書院 五行大義/中村璋八/明徳出版社 気の流れる大地 風水という名の環境学/上田信/農文協 陰陽五行と日本の天皇/吉野裕子/人文書院 危険な教科書「古史古伝」と「偽書」の謎を読む/「歴史読本」編集部編/人物往来社 馬王堆出土文献訳注業書 五十二病方/小曽戸洋、長谷部英一、町泉寿郎/東方書店 呪術・巨大古墳と天皇稜/佐藤至輝/雄山閣出版 怨霊になった天皇/竹田垣泰/小学館 古代日本「謎」の時代を解き明かす/長浜浩明/展転社 中国神秘数字/葉舒憲、田大憲、鈴木博訳/青土社 その他、呪術などの文献は個人資料による。 資料に興味のある方へ
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