仲屋風水デザイン
私は元々が怠け者で、ガサツなところがあります。 こだわりのない、おおらかな人間であると言えば聞こえは良いですが、それは私のことではありません。 なぜなら私は小心者だからです。小心者がおおらかでいようとすれば、見栄を張らなくちゃいけない。できない相談です。 そのような私でも、近頃ようやく他人様から少しは信頼を得ることができ、仕事を続けていられる位になっているのには理由があります。 それは、ひとえにパートナーによるところが大きいのです。 実は彼女のおかげなのです。 .もう少しきちんと説明しますと、パートナーは「ナカヤセンセイ」として愛してくれているようだから、その分私に対して丁寧です。 ちなみにこれは、五常でいうところの仁木が礼火を生じている関係。 彼女は私に丁寧ですので、私も彼女の言うことに対しては、なるべくなら丁寧でいたいと考えます。 これは、返報性という人間の心の反応のひとつです。 例えば、私達が親戚から贈り物をもらったときのお話。 贈り物を送ってくれた親戚のおばさんにお礼の電話をかけたのですが、おかけになった電話番号は・・・と、どうも番号が通じない。 お家の番号がわからないものだから、もう後でお礼の手紙を書くしかないなと考えました。そうすると、私の性格では案の定、仕事にかまけてすっかりそのことを忘れてしまいました。 それから何日か経ちましたが、我がパートナーはしっかりそのことを忘れずに覚えていてくれましたので、私に「お礼の手紙は書いたの?」と、聞いてきました。あぁ、そうだった。しかしもしこのまま後回しにしてしまえばまた忘れてしまう結末が目に見えていましたので、もはやこれ以上はと先延ばしにせずに手紙を書いてしまおうと決めます。つまり少し丁寧な行動を取ります。 もし私が一人なら、あるいは私が彼女の丁寧さに反応しなかったのなら、またそのうち書くさと思い、おそらく手紙を出す時期を逸してしまい、次にまた今度会った時にお礼を言えばいいさと、自分のものぐさな気持ちに負け、お礼のこと忘れてしまい、罪悪感だけが心に残り、きっと許してくれるだろうおばさんの優しさにすっかり甘えてしまうだろうことは明白です。 一体何が言いたいのか、つまりそれは、人は丁寧にものごとに取りかかるようにすれば、そのおこないがおのずと信頼の元となるということです。 そして反対に、ついつい自分に優しく甘やかし続ければ、人からの信用はやがて失ってしまうということです。 これらを五常的に言えば、仁は礼を生じ、仁は信を剋す関係となります。 つまり「あげまん」というのはさて、私が丁寧さを忘れずに少しだけでもそれを残しておけるのは、先ほどもお伝えしたようにパートナーの丁寧さがあるからです。
これは、恋愛や家庭、仕事においても同じで、各ジャンルにおいてそれぞれのパートナーとの関係というのが、自分の運命を大きく変える力をもっているということです。自分では気がつかないうちに、互いに大きく影響を与え合います。 そして、丁寧さを忘れない人が、あげまんと呼ばれるような人になるのでしょう。 このようなことも、五常からおのずと明らかになっていく不思議のひとつです。 |
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