仲屋風水デザイン
体のつながり私たちは食べて眠ることで生きています。 食べるためには食べ物を作る人たちが必要で、安心して眠るためには誰かが作ってくれた建物が必要です。自給自足の人も同じです。食べ物を無から作り上げる人はいません。自分で持ち出す以外のどこかから拝借して育てたり作り上げたりするしかできません。 つまり、今の体がここにあるのは、他とのつながりがあればこそです。 心のつながり知識や理解が不足すると多くの人の心には恐怖心が湧きあがります。 知らない人と仲良くなるためには、相手を知り、理解すること。それができればお互いに信頼が芽生えます。 相手との違いを知りありのままを尊重することができれば争いは起きにくく、違いを知り競争を始めれば争うことが多くなります。 また、思い込みが強ければ誤解も生まれやすく、理解もしないのでこれも同じように争いが多くなります。 これらのことから、私たちの心は何を信じるかによって、人とのつながりが広がったりその反対に狭まったり偏ったりと、現実の結果までもが変わります。 未来のつながり心と体と世の中とのつながりが感じにくい場所、それが都市です。 それはきっと人の数が多すぎるせいで、つながりを感じにくくさせてバランスしているのかも知れません。 あえて他者に興味を抱かないようにして心のすきまを持たせ、多くの人が狭い場所でも何とか生きられるような状態を作っているようにも思います。 その反対に、田舎で暮らせばすき間の広さに反比例して濃密な人間関係にうんざりする、ローカルルールを知らずに誤解を招いて村八分を受けてしまう、そんな話も聞くことがあります。管理がしっかりしている田舎の別荘地がプライバシーも守られて一番暮らしやすいと言われるゆえんです。 さて、これからお話しする内容は、これを読むあなた自身と未来とのつながりに関係することです。 人は自らが望んだ未来を手に入れるように出来ている、そんなお話とその理由です。 これまで「新しい人たち」と呼ばれた者2000年以上繰り返されてきたこと、それが新しいリーダーや変革者の到来の預言です。 どの時代においても同じように繰り返されていることが、少し調べれば分かります。 2021年の現代は、随分質が落ちて残念なのですが、〇〇チルドレンが健在です。 これらの預言流行りに共通することは「息も出来ない感じの世の中だ!」と「自分以外の誰かに何とかしてもらおう!」というふたつの思いです。 スピリチュアルにも突っ込みは必要です。 自分以外の誰かにすべてを委ねてしまう状態は、まるで反抗期の子供のように被害者意識でいっぱいになるか、すべて正しい道だと権威者のいいなりになりやすく、誰かにやってもらって当たり前になります。このような〇〇チルドレンの話を聞くにつけ「もう幸せはいい加減自分で見つけようぜ!」と、言いたくなります。「じゃないと無理だから!」と、何ならチルドレンに取って代わって言いたい。 現代の被害者意識を持つ大人たちの多くは、被害者になることで加害者を裁く権利を宣言する訳でもありません(大義名分を掲げれば戦いが始まりいずれ戦いには決着がつき、以後は幸せを自ら求めなければなりませんから)。むしろ被害者でい続けようとします。そうやって利益をいつまでも得続けるのが今の時代の新しいスタイルです。 私たちは、どのような不条理な立場に置かれたとしても、自分から幸せを求めた方が良いのです。たとえそこから逃げ出すことになったとしても。 自分の人生は自分で舵をきることで幸せや自由を手にする可能性が大きく広がります。 その舵は小さくきることから始めたって構いません。繰り返すことで、次第に大きく舵をきることができるようになります。 人は、自らが望んだ未来を手に入れるようになっています。 このことに関しては、昔よりもはるかに今の方がスピードが早くなっています。 子供の頃に想像した大人の自分体に関することを「もの」、心に関することを「こと」と、ここでは呼び分けたいと思います。目に見える関連が「もの」、目に見えない関連が「こと」でも構いません。 我が国を見れば、二十世紀には道路網である「もの」関連がほぼ整いました。 これは物流が国中行き届き、例えば足の速い生もの、新鮮なマグロのトロも、取れたての美味しいイカも、海のない山間部でもその日に食べられるようになりました。北海道から沖縄までもその日のうちに移動できます。関西と関東も日帰りできます。二十世紀までの時代にはできなかったことです。 二十一世紀には、「こと」が充実し始めました。目に見えないものの代表は情報です。これまでは新聞やラジオ、テレビなど画一された「こと」であったものが、インターネットの広がりによって、国民のほとんどがその気になれば自分から情報を発信することができるようになったのです。二十世紀、米軍の新しい情報網の構築から始まったことです。 その結果、「こと」はものすごいスピードで広がるようになり、いずれ修正も効かないようになるのも時間の問題でしょう。 「もの」も「こと」も整い、スピードが早くなると便利になります。 しかし便利になった反面、「こと」にも「もの」にもすき間がなくなります。余剰や余暇は2021年ではまだ合理性に必要なものとは考えられてはいません。 人が、自ら望んだ未来を手に入れるように出来ていることも、まだ多くの人には信じられてはいません。 子供の頃、こうなりたいと考えていた人のうち、いったいどれ位がその夢を叶えているのでしょう? 確実に言えることは、夢を叶えることが出来た子供の100%が、実現に向けて行動していたという事実です。 勇気の代償と恩恵勇気をもって行動すること。 これには代償と恩恵の両方があります。 代償は現実的なリスクと考えても差しつかえありません。 うまくいかなかったらどうしよう。 すべてをうしなってしまったらどうしよう。 これらの思いは、どうしようもありません。湧きあがった心配をいかに手放すかには、マインドダイブといって、自分の心の奥底と対峙する必要があります。 もし、代償の恐怖をうまく押さえつけることができて、勇気をもって行動できた場合。 そこには「勇気をもって行動した」という経験が残ります。そして、それは腹の据わった人格に繋がる体験です。 つまり、代償も行動することで恩恵に変わってしまいます。 腹が据わった人間になれば、決断力が身につきます。生きる力まで強くなります。 これは、病気がちであるとか健康であるとかとは関係のない部分です。 大人になっても、まったく腹の据わらない人も多くいます。腹が据わらないので子供特有の小ずる賢さばかりが際立ったような大人になります。そうなると本人に苦労が増えます。 子供を産んだお母ちゃんには腹の据わった人が多くいます。特に子どもに関しては腹をすえています。男の子の多くがお母ちゃんが好きなのは腹が据わっているからかもしれません。 勇気をもって行動することの恩恵の方はいうまでもありません。それは成功体験と自信です。 失敗は常の失敗にあらずして成功の為の失敗なりや。 先人の言葉です。 人はなぜ、自分の望んだ未来を手に入れるのか人がなぜ自分の望んだ未来を手に入れるのかといえば、選択と損得勘定に関係しています。 また、自分の望んだ未来を待てなかったり、勝手に無理だと決めてしまうのも同じ自分です。この時の自分は、恐怖や正直さのない正しさや前例の無い常識を選択と損得に組み入れてしまった結果です。 ですが、そのような選択をしてしまった場合、やり直すことでまた道が繋がります。 そして、やり直すことを選んだ人には、それだけで勇気ある行動という恩恵が手に入ります。 私がここで言いたいのは、例えばいじめから学校を休んだ人が再び学校に通おうとした時、普通に毎日学校に通う人にはない恩恵が与えられるということです。 なぜなら、普通に毎日学校に通う人は勇気をもって学校に通ってはいないからです。少なくとも、しばらく学校を休んでいた人が再び学校に通うほどの勇気は必要ないでしょう。 勇気をもって行動する人に私はエールを送ります。 もし、勇気をもって選択できるなら人は自分の望んだ未来を手に入れるように出来ています。 そしてその方法は、すでに世の中と繋がっている体と心によって望みが叶えられるようになっています。 「べく」という言葉があります。英語でいえばCAN、「可能な」の可の字です。べくの字。 「べく」は「べき」と違います。べきはmustです。 人が自分に許可を与えるとき、それが望んだ未来を手に入れる始まりとなります。 心がやるべきことは、どうなりたいかを考えることです。 意外に人はどうなりたいのかを真剣に考えていないものです。 あらためて自分がどうなりたいかが分かれば、次は実現する前におきる心のブレーキ、つまり恐怖心について考えます。この恐怖心は「変化に対する恐れ」といって、こうなりたい自分、未来への選択の判断を誤らせるマイナス材料のひとつです。 変化に対する恐れによって、変化を嫌い続けた人がどうなるのか、私はこれまで幾人も見てきました。そのような人のほとんどは、変わろうとする人の足を引っ張りつづける人になります。 例えばSNSなどを見れば分かるように、とにかく反対して上から目線でダメ出しする人は、自分の人生で変化することなど出来ないのは火を見るよりもあきらかです。 他人は自分の鏡です。 それはまるで役割のように、足を引っ張る立場を演じ続けます。 なぜそれがやめられないのかといえば、自分が変わるよりも、誰かを中傷して変えさせる方が、その人の人生でははるかに簡単で一見正しいおこないのように感じるからです。 うらやましくてやっかんで、本人の中では正しく批判するのです。実際これはもう本当にどうしようもありません。理解してもらおうとしても結局は徒労に終わります。なぜなら、変化する人を認めてしまえば自分を改めなくてはならない(本人にとってはとても大きな変化)からです。 SNSなどの情報発信で、もしそのような人から批判を受けたのなら「この人は今はそういう人」と、理解を求めずにその性格をありのままを受け入れて手放しましょう。何十年後か、遅くとも何度か生まれ変わったときに、変化する勇気を持てるだろうことを願って。 反対運動について。これは権威ある存在への被害者意識と密接に関係しています。 大人になってもこれが抜けきれない人はマザコンの人に多いです。おかしなことに、ほとんどのマザコン男性は自分がすでに権威ある存在になっていることに気づいていません。 そして、伝家の宝刀のように権威を振りかざします。かつては自分が嫌っていたものにすっかり取り憑かれていることにも気がつきません。そうやって、権威を振りかざす伝統は自分が受け継ぎます。ミイラになっていることに気がつかないミイラです。 ちなみに私が高校生だった頃には、現役の教師の何人かは学生運動あがりの人たちで、教えることはそっちのけで日教組に入って活動をしていましたが、全員もれなくミイラになっていました。権威嫌いの権威となり権勢をふるっていたのです。まぁホント酷い人たちでしたが、私も酷い高校生でしたのでおあいことします。 さて、ここからはSF的妄想の世界と思ってお読み下さい。 私は大人になってからも別のミイラに出会って、もっと不条理な目に合いました。 詳しい内容は控えますが、出来事がすべて終わってから、いい加減なぜ学ばない!と自省反省の繰り返し。 たとえ話でいえば、ゲームで繰り返す「モンスターがあらわれた!」の世界にいて、そんなにモンスターが嫌いならなぜもっと早くゲームをやめない?!といった反省です。 別のたとえで、昆虫のバッタでいえば、まるで緑色のバッタが黒いバッタの世界に迷い込んだような感じです。 それは、人のずるがしこさと不誠実さをまざまざと見せつけられた非常にショッキングな経験でした。 反面、私の身近にいて支え続けてくれたパートナーをはじめとした「まともな人たち」のありがたさを身にしみて感じました。内容を伝えれば、なぜ?なぜ?なぜ?のオンパレードで、私自身が不条理にいたことをあらためて理解できました。 正直にいえば、その時にやって来られたお客様にも助けられていました。低く落ち込んだマインド状態の私を、それでも信頼してくれセッションを受けてくれたこと、実はこれも大きな助けになっていたのです。 しんどいときは自分を応援してくれている人の方を向くことの大切さと、応援しているように見せかけて中には背中から撃つような人や足を引っ張る人がおり、そのような人をきちんと見分けないといけないというのが大事なことです。 ですので、セッションでは「何があっても絶対にお客さん側に立つべし!」「密かに邪魔するような存在はきちんと撃つべし!」と、気持ちを新たにすることが出来たのも恩恵のひとつです。 そして、なぜかすべてを手放してみれば、これまでよりもすっかりすべての運気が上がっている状態にいる自分に気がつきました。 ひとつ言えること、それは人生にはその場からの強制退場とでもいうような突然の変化がおきることがあり、それこそ運気の変わる潮どきだということです。 私の場合、まぁスッキリしたこと! さて、引き続きここからは別のSF的妄想の世界です。 今、都市部では父親にいいなりの母親と過保護な共依存関係にあるマザーコンプレックスを抱えなおかつ権威主義的な成人男性が慢性的に増殖する素地がすでにできあがっており、それが戦後の核家族化から始まったひとつの社会的な病理現象となっています。 なお、ここでいう都市部とは、人口三十万人をこえる地区、市町村のことです。 また、マザーコンプレックスを抱えなおかつ権威主義的な成人男性を、ここではマザコン系権威主義者と呼称します。 これを伝えてくれた社会学者によると、この社会的な病理現象は大きな問題で、国の豊かさ、国民全体の豊かさを阻害する要因のひとつとなってはいるが、同時に人権問題や差別問題にも発展しうるために、社会学の研究者からはタブー視され、触れてはいけない社会病理と呼ばれて無視されているとのことです。 彼から一時借り受けることが出来たレポートによると、もしいびつな人間関係から形成された、人格に問題を抱えた者が都市部に多数生まれれば、地方と都市との収入の差違から比較して高学歴者の排出も当然都市部に軍配が上がることになるので、上は国政から下は民間の企業にいたるまで、指導者的立場にそのような者の割合が増えることになるとのことです。問題は、マザコン系権威主義者のほとんどが病理的にはボーダーラインにいることだといいます。 もし、彼らが各々組織の上部にいれば、その下部にいる者たちのほとんどは当然仕事に不満を持ち組織そのものを信頼することがなくなります。弱者に責任を転嫁することを厭わないマザコン系権威主義者に対して部下の多くは自己保全に走るからです。また、責任転嫁が予想されるマザコン系権威主義者との人的摩擦を避ける為、長期的なイノベーションの発想は、その実行までに必ず伴うデータ取得時に生じるマーケティングの失敗とその責任所在の追求を鑑みて回避されることが増えるだろう、おそらく30年を待たずして都市部全体が保守的思考に支配され動脈硬化を起こし、いわゆる政商のみが利益を得る管理社会が形成されるだろうと予測されています。これは、彼らの人格に共通する特徴、偏った自己愛と自己保全、短絡的な視野によることが大きいといいます。 核家族化による弊害を想像すらしなかった当時の政策の長期的視野の欠如から約40年、ミレニアム(西暦2000年)と時代を重ね、その引き金は都市部のマザコン系権威主義者の蔓延化によって我が国の弱体化は始まりました。 おそらく2030年頃には日本社会の全体が完全な老化現象を起こし、経済活動も滞り、国はすっかり競争力を失い、国民の80%は貧困者にカウントされることになるだろうといわれています。良いことは、組織内犯罪の内部告発がわずかに増加するぐらいだろうということです。 しかし、このように変化が怖れ忌み嫌われるような時代の中でも成功者はあらわれるだろうと予測もされています。まずは女性から、次に移民の中から。そして帰国子女の中から。 もちろんマザコン系権威主義者の中からも成功者が出ます。しかし、それら成功者のうち自らがパイオニアになった者はひとりもおらず、彼の一族からの財産をただ受け継いだ者たちが成功者と呼ばれるだけだろうと皮肉がこめられていました。また、その成功も次の世代は女性へバトンが渡され続くことになるだろう、なぜなら彼らはマザコンだから。 このタブー視された社会病理現象を調べていくと、原因は意外な所にあったと彼は教えてくれました。どうも高度経済成長時代のはじめに、核家族計画を推奨した官僚たちはアメリカから派遣された官僚の指導の元でその政策を練っていたようなのです。 核家族計画は当時は民主主義政策の一環として所得倍増計画の中に盛り込まれた共稼ぎの推奨案のひとつでしたが、指導したアメリカの官僚が怪しく、実はこれも敗戦後のアメリカ軍によるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本占領政策。戦後数十年否定され続け秘匿されていた政策のこと)から引き継がれた、長期的な日本占領政策であったとのことでした。その計画の目標は日本の国力の弱体化を狙ったもので、地政学的および社会学的な国家を利用した実験のひとつであるらしいのです。 さて、2021年の現在、ここでお伝えしたような社会的病理が蔓延しつつある証拠のような出来事が散見されます。たとえばとある政治家が提唱した名ばかりの構造改革、非正規雇用政策を長期的視野で見た場合の失敗とその証拠にあげられる貧困層の増加、いくら真面目に働いても生活が少しも改善しない現実、広がり続ける教育の格差もそのひとつです。また、ミレニアム後におきたパナマ文書事件、政治家や富豪の海外租税回避による国家税収の激減、しかもこれは誰もとがめられずにいつの間にか世間から忘れ去られていきました。他にも、政治家を含めた国家公務員の犯罪隠匿、告発があった際の部下への責任転嫁とその自殺など、今すでに皆が麻痺するほど色々とその実験結果が蔓延し始めているではないですか。。。 はい、妄想終わり。ちょっとした陰謀論的SF小説でした。 それでも私たちは今を幸せに明るく生きましょう! さて、ミイラなどと、このようにどうしようもなく過去を蒸し返してひどく語ってしまうのは私がこれまで幾度となく小ずるい系の人たちにしてやられた経験に加え、今でも心身が弱った時に、まるで突然やってくる宅配便のピンポンのように嫌な思い出を自ら呼びさまし、繰り返し腹が立ってしまうからです。時をかける少女ならぬ時空をまたいだ怒れる中年男です。本当はもうこんな状態では早く休まないといけません。 実に情けなくお恥ずかしいことですが、まだまだ人間が出来ていません。腹が立てば寝かせることが一番です、ごめんなさい。それから、ここまでお付き合い下さってありがとうございます。 閑話休題。現実の何かしらの反対運動について。これは、既成の権力に対する反対集会をする若者たちであればまだ理解できますが、いいかげん年寄りになった者たちがいまだに権威との葛藤を現政権にうつしみて反対運動を行なう姿をみるにつけ、いったいいくつになれば世の中を信頼する年齢になるのかとため息しか出ません。父母も草葉の陰で泣いているぞと悲しくなるのは、これも過去の権威系の災いに巻き込まれたせいでしょう。 私はそのような人たちよりも、例えば西成の越冬闘争で日々の食事を手配している方々を知っていますが、そのような人たちにこそ尊敬のまなざしを送ります。 なぜなら腹を据えることの大切さがそこにあり、そのおこないに美しさを感じるからです。 ただ腹をくくって今を生きれば良い賢い者は思いの強い者にはかないません。
思いの強い者は執着を手放した自由な者にはかないません。 自由な者は真面目な者にはかないません。 真面目な者は権威ある者にはかないません。 権威ある者は賢い者にはかないません。 また、 愛ある者はその行動が美しく、 丁寧な者は人から信頼され、 ありのままを受けとる者には約束された未来があり、 約束を重んじる者は多くの利益を得、 謙虚な者は感謝と共に愛ある自由を得る。 これらは五常(ごじょう)という心のしくみの理(ことわり)によってあきらかなことです。最後は少し真面目に。閲覧感謝いたします。 |
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