仲屋風水デザイン
隠された真実?とある歌詞に共感
「魔女の宅急便」というジブリアニメの中に歌われている「やさしさに包まれたなら」という曲。
荒井由実さんのこの楽曲の歌詞は、たくさんの方が知っていることでしょう。 歌詞(一部): 小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた 優しい気持ちで目覚めた朝は、おとなになっても奇跡はおこるよ カーテンを開いて静かな木洩れ陽のやさしさに包まれたなら きっと目にうつる全てのことがメッセージ 実はこの歌詞、あるひとつの占いの極意と同じものの見方をしています。 道を究めた占い師というのは、最後には道具などに頼ることなく、先を読み取ることができるようになると言われています。 天網恢々(てんもうかいかい)といって、目に見えない網の目のようにびっちりとつながり合っているのが我々の生かされている世界で、そのつながりは目に見えませんので、一見スカスカでほとんど関係性がないかのように感じてしまっています。 どんな風につながり合っているのかを表したことわざのひとつが「大風吹けば桶屋が儲かる」です。 つながり合った関係を論理的に表したひとつが「弁証法」です。これは唯物論の方に行っちゃったものが有名です。 ちなみに私はヘーゲルあたりの観念論的な弁証法がより好みでしっくりきます。一神教ではありませんが。 また、他にも「バタフライ効果」や、「シェルドレイクの仮説」、「ホログラフィック原理」なども、同じ潮流にあると私は考えています。 ざっくりといってしまえば「目に見えないつながりが目に見える現象となってあらわれているのがこの世界」という考えです。 目に見えないもの、目に見えない世界
昔から、この世のことを現世(うつしよ)と呼んでいるのにはそれなりに理由があります。
それは、この世は、目に見えないつながりの世界と結びつきがあり、そこでのことをただうつしだしているだけであるという考えから、そう呼ばれています。 ある意味、役割と配置が決められた世界。 こういったことを一歩離れた観察者の目で見れば、昔から今にいたるまで、人の頭の思考の流れゆく方向といいますか、指向性には何も変わりはなく、今昔の違いといえばただそれは厳密さにあるということくらいです。 数式を使った厳密さが強く求められ続けたことで、その結果、すべての人が全体を把握することができない高度な思考体系があるのが現代です。 今、ネットを見れば十代の若者がしきりに理系か文系かその優劣を比べていますが、それも現代が百年以上かけて厳密さを求め続けたひとつの結果にあるのでしょう。 団塊世代と呼ばれた人達による学生運動は、実は世界大戦によって作り出された罪悪感と結びついています。 戦争に参加した世代が親となり、その子ども達による権威の集合意識に対する反抗心と結びついたのと同じように、アカデミックな仮説と証明によってしか認められることのない厳密な態度が長く続いた各学会の結果が、今の学生たちの態度にあらわれているのかもしれません。 時代時代を象徴するのが若者の態度ですので、現代の日本の若者はそうとう息苦しい世の中だと感じているでしょう。 これは大げさではないお話です。 未来は人工知能(ai)プログラムによって予知できる?
さて、専門家だけしか理解できないような厳密な数式や仮説がたくさんあり、誰一人として全てを理解している人がいない中、いずれ人工知能(ai)が人にとってかわってすべての情報を知り、それらを体系的に、全体的なつながりをもって捉えることになります。
人間以上の能力がここで使われます。これは時間の問題でしょう。 そうなると、例えば自分が人生の岐路に立ったとき、この先どういう風になるのか、その決断の結果を確率でもって機械が教えてくれるような時代がやってくるようになるでしょう。 その機械の発する言葉は、詩的な散文的な内容で、ある種の解釈が必要な文字の羅列によって表現されるでしょう。 そこまでは推測することができます。あるひとつの道に沿った未来です。 人工知能が人の持つ感情をどこまで理解できるかどうかは分かりませんが、少なくとも人が感情によってどのような結果を選択するのか、その傾向は簡単に理解することができるでしょうから。 例えば、この人のこれまでの思考と感情のパターンでは、これこれこういう選択をする確率80%とか、いとも簡単にプログラムが導き出すでしょう。 その位、人間の感情はパターン化されているといって差し支えないと思います。 そして、パターン化されているがゆえにプログラムは容易であり、一見不確実とされている未来もかなりの確率で予測できるはずです。 つまり、私たちは自分の感情のパターンを知り、それを乗り越えない限り決められた未来を選択しているといってよいでしょう。 さて、「目に見えないつながりが目に見える現象となってあらわれているのがこの世界」だと考えながら毎日を暮らしていくと、ものごとをありのまま受け止めることの価値を知るようになります。 これは、非力であればあるほどできる思考法だと思います。自分一人の力ではどうすることもできないことがたくさんあり、それを受け入れながらもなお、自分の進みたい道や、やりたいことをせずにはおられないのが人間なのだと知ることができれば、世界のありのままを受け止めることができるようになります。 なお、ありのままという立ち位置にとって、間違いであるかそうでないかは重要ではありませんので、それが世界をありのままを受け止められているかどうかの判断基準になるでしょう。 自分と同じように他人を許すことができる人は「仁」の人であり、 自分に正しくありたいと思い続ける人は「義」の人である、 これらのふたつを合わせて仁義となります。 さて、子どものなぞなぞです。 問い:仁義の嫌いな人が食べる料理は何でしょう? 答え:ジンギスカン。 これはユーモア(のつもり)ですので「礼」のカテゴリーに入ります。 目にうつる全てのことがメッセージとなった時、それは人が自分のとりまく環境やできごとをありのまま受け止められるようになった時です。 小さな頃にできていたことですので、大人になった今もできないはずはないと信じます。 これは「信」ですね。 本日は電池が切れましたので、この辺で。 追伸: 近々五常カードの講習会をする予定です。 決められた役割と配置を底上げするための講習会です。 ありがとうございました。 |
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