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卍易風水ブログ

タオ的日暮らし日記

絶処逢生(ぜっしょせいにあう)

11/28/2017

コメント

 

どうしようもなく困ったときに

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絶望の場所にあるとき、生き残る光が見える。

これを「絶処生に逢う」といいます。

​絶処とは、行き詰まった形をいいます。

行き詰まりの形というのは、人によって違います。

ある人にとっては大したことでなくても、本人にとっては人生で重大なことだってあります。

人に話したところで相手にされないような問題も、本人にとってはとても大切なことです。

話を聞いてもらいたいんだけれど、でもその話をする前に、まずそれが自分の人生にとっての重大な問題だと証明しなくてはいけない。

理解してもらうための前の作業。

その作業は、本題に入る前に消耗してしまう骨折り作業です。たいていは、それならもう理解されなくてもいいや、話さなくてもいいや、そう諦めてしまいがち。

​だって、どうせ分かってもらえないから。

人間関係の破綻は、そういうちょっとしたことからはじまり、理解されていないという不満は古いワインにあるオリのように、時間をかけてどんどん底に溜まっていきます。

人はなかなか阿呆になれぬもの

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みずから阿呆になり、問題も気にせず、誰かれに対する不満もなく、日々コレ好日と、毎日ご機嫌さんで暮らしていければこれほど幸せなことはありません。

しかし、人はなかなかそういう阿呆になれぬものです。

あっちにひっかかり、こっちにひっかかり、どうしても正しい道を歩きたくなる。

正しい道を歩きたくなると、ついぞ誰かの間違いが気にかかってしょうがなくなる。

誰かの間違いに腹を立て、自分の狭い心にまたへこむ。

あぁ明日こそはよい人でいよう、寛容でいようとまた誓いなおす。

何度目の誓いなおしなのだろうと、自信をなくす。

自信をなくすなら、いっそのこと忘れよう、阿呆になろう・・・
​

これ、みんな心のパターン、繰り返しです。

本当に知性を使っているのか?

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あるいは理性と知性を使い、それこそクールに感情もさらっと理解してやろう。

そんな風に考える人もいます。

ところがそれは自分の爆発するかのごとき激情から目を背け、理解しているそぶりの繰り返しということが往々にしてあります。

私の場合、そういう逃げにかかる心が芽生えると、

「その罪悪感をもっと感じてその底にある何かを見つけろ!」

と、自分に言い聞かせます。

言い訳名人の自分を誰よりもよく知っているのは自分自身だからです。

これはたいていの人にも当てはまるかと思いますが、何か問題が起きたとき、その原因を外に見つけてそれが全てだと考えがち。

​そうやって自分の内面から目をそらそうとしてしまいます。

お腹が空いた時に食べ、のどが渇いたときに飲む

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お腹が空いていない人に、食べ物をあげてはいけない。

それは自分自身を含めてのことです。

食べ物も飲み物も、満たされればそれ以上欲しいと思いません。

しかし、いくらあっても足りないと感じ、もっともっと欲しくなるものもあります。

それは名声であったり、富であったり、愛であったり、世界の秘密であったり、人によって時と場所によって様々に違います。

ないと思うと欲しくなり、あると思うと別段欲しくなくなる。

​これも人の心のパターンです。

果たして自分は満たされた毎日を過ごしているのか?

これも、人生にとっての大きな問題です。

互いを補い合っている

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かつて私が物事を知らないことで笑う人がいました。

今、私は物事を知らないことを笑うことはありません。

知っている人は、知らない人がいるからこそ、知っているといえるからです。


かつて私が豊かだった頃、うらやんで私の物を盗る人がいました。

今、私は私より豊かな人から何かを盗るようなことはありません。

たくさん持っている人は、持っていない人がいるからこそ、たくさん持っているといえます。


知っているのと知らないこと、あることとないこと、これらは互いを補い合っています。


豊かになると保守的になるのは、自然なことです。

それは貧しい人が革新的になるのが自然なことと同じように。


しかもこの二つは互いを補い合っています。


時にそれぞれが反目し合いながらも。

ただ、人はそのようなつながりを忘れてしまい、往々にして自分の正しさを振りかざしてしまう生き物でもあります。


それは残念な悲しいこと。


もっと愛に目を向けなければ。

​
さて、ライフという言葉があります。

ものの本によれば、日本語には命と暮らしという言葉の違いがあるが、英語にはそれにあたる言葉がなく、それぞれライフで済ますそうです。

命という言葉をライフであらわすと「ライフの根源にある外部からさまざまな恩恵を受けながらにして内在する生き物に等しく存在するもの」みたいにちょっとややこしい説明がいるとか。

日本語はとても便利。「命」というひとことでたいていどんな人にもその大切さが通じるからです。

自分を見つめるためには勇気がいる

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自分を見つめるためには勇気がいります。

しかも、それにいくら気づいたとて、その価値は自分以外に認められることはない。

自分を見つめれば、そこにたくさんの思いこみがあったと気がつきます。

そして、思いこみを正しいものとして決めてしまっている自分がいることにも気がつきます。

そういった「マイルール」、変えることができるのは自分だけです。

それが絶望へと続く道なのか、それとも生き残る豊かさへと続くの道なのか、知るためにはどうすればいいのか?

それは、自分自身がどんな得をしたがっているのか?そこを理解するのが一番です。

「そんなことはない、自分には得することなんかない。今もこんなに苦労しているのだから」

そういう声も聞こえてきそうです。

でも、あるんです。「こんなに苦労することで、自分がやらなくてもいい何か」が。そこに目を向けるにはとても勇気がいります。

心の底に向かってダイブする。

そして、得する何かを見つけ出す。

その発見は、自分を変えうる大きな力の源泉に触れることでもあります。

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