縁(よ)りて起(お)こす
陰陽を使って、因果と因縁それぞれの意味を考えれば考えるほど、ガチガチの決まりきった運命をあらわす言葉だというのがわかってきます。
因果は「過去と現在」を陰陽であらわした言葉、因縁は「過去と未来」を陰陽であらわした言葉です。
どちらの言葉も、もうみんな運命だから変えようがない、そういう意味があります。運命論者、変えようのないガチガチに固まった言葉です。
ところが、それとは反対に運命は変えられますよという言葉もあります。
本来そういう意味をあらわす言葉が日本語にはちゃんとあるのですね。
それが縁起という言葉です。
縁起は、よりておこすと書きます。つまり今現在あなた次第で未来をつくることができますよと、漢字を訓読みしてじっくり考えれば、もともとはそういった意味だというのがわかります。
そう考えると「過去と現在の関係」を意味しているのではなく、むしろ「現在と未来の関係」をあらわした言葉だということになります。
因果は「過去と現在」を陰陽であらわした言葉、因縁は「過去と未来」を陰陽であらわした言葉です。
どちらの言葉も、もうみんな運命だから変えようがない、そういう意味があります。運命論者、変えようのないガチガチに固まった言葉です。
ところが、それとは反対に運命は変えられますよという言葉もあります。
本来そういう意味をあらわす言葉が日本語にはちゃんとあるのですね。
それが縁起という言葉です。
縁起は、よりておこすと書きます。つまり今現在あなた次第で未来をつくることができますよと、漢字を訓読みしてじっくり考えれば、もともとはそういった意味だというのがわかります。
そう考えると「過去と現在の関係」を意味しているのではなく、むしろ「現在と未来の関係」をあらわした言葉だということになります。
そもそも、縁起とは・・・
そういったことから「縁起」の意味がどうも「ことの起こり」だけではないようだと分かりました。
少しややこしいかもしれませんが、因果、因縁、縁起という言葉を時間を対立させた陰陽で考えたのが左の表です。
それぞれの言葉の意味は、陰陽的思考によって過去と現在と未来の関係を考えた時に初めて理解できます。
昔から、そういった時間の関係をあらわした言葉がすでにちゃんとあって、おそらく元々は意味も理屈もしっかりしていたことにも驚いて、この言葉を考えついた昔の人の感覚の鋭さにあぜんとしました。
少しややこしいかもしれませんが、因果、因縁、縁起という言葉を時間を対立させた陰陽で考えたのが左の表です。
それぞれの言葉の意味は、陰陽的思考によって過去と現在と未来の関係を考えた時に初めて理解できます。
昔から、そういった時間の関係をあらわした言葉がすでにちゃんとあって、おそらく元々は意味も理屈もしっかりしていたことにも驚いて、この言葉を考えついた昔の人の感覚の鋭さにあぜんとしました。
縁起の良さは運命に関わる
ガチガチに決められた運命論者からすれば、とにかく「縁起」は素晴らしい救いの言葉で、まさにこれこそが非運命論者の言葉、新しい世界THE・エンギだと気づいたのです。
運命論には因果と因縁があり、非運命論には縁起がある。しかもその言葉はずっと昔からある。
これが運命論者から非運命論者へとパラダイムシフトが起きた、心のしくみの関係をもっと探っていこうと思い立ったきっかけのお話です。
あらためて、昔の教えを真剣に深く見直せば見直すほど、これはきっとすごい掘り起しができる、そう思いました。
現代社会や今の時代に生きる人間が一番賢いなどと浅はかな考えにとどまらず、決しておごらず、これまでの人々におきた気づきや発見を尊重し、過去と現在と未来を信頼することができれば、いろんな発見がありますので人生がもっともっと面白くなります。
人はついつい慢心してしまい今の自分の智の基準だけでものごとを判断しがちですが、それではあまりに思慮深さが足りないことになります。小賢しさというやつですね。まずは過去に対して謙虚になることから始めれば、やがてそれは目に見えない徳から目に見える恩恵にまで変わります。
そういうわけですから、縁起に従えば、人は自分が変わること、そう決めることで未来の運命も変える可能性が出てきます。
じゃあいったい自分の何を変えるのかといえば、これは心を変えることからはじめます。
陰陽五行説に従えば、最初に陰があり、その次に陽ができます。
陰の世界は目に見えない世界なので、人も目に見えない心から変えるということになります。心の持ち方を新しく、縁りて起こすわけです。
心を幸せにする習慣を持つだけで運命が随分変わります。
ガチガチの運命論者だった人間の行き着いた所がそういった当たり前の単純な結果です。考えてみればこれもみな簡易に通じています。
心を変えると運命はどうかわるか?ですが、分かりやすく例えれば幸せな気持ちでいる人がパートナーを欲しいと思った場合と、そうでない人がパートナーを欲しいと思った場合、幸せな気持ちでいる人の方がパートナーを見つけやすいといったことです。
これも考えてみれば当たり前の話で、暗くてどんよりした人と誰もお付き合いしたいとはあまり思わない。
暗くてどんよりに魅力を感じる人は、同じように心に闇を持つ人がほとんどです。どんよりに魅力を感じる理由も簡単で、自分の目の前にいるこのどんよりさんなら、きっと自分のどんよりも理解してくれるはず、シンパシーを感じるからこそ互いに引き合います。
類は友を呼ぶですね。
じゃあ、うまくいく心の持ち方ってポジティブシンキングのこと?ということになりますが、日本には昔からそういう心構えをあらわした言葉がちゃんとあります。その心構えは五常(ごじょう)といって、全部で5つあるので合わせて5文字の漢字です。
それは「仁義礼智信」です。まとめて五常。聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。いわゆるポジティブシンキングとはちょっと違ったイメージです。
昔「仁義なき戦い」という映画がありましたが、その映画タイトルにも使われているのが仁義。これは五つの心構えのうちの二つ、仁と義を使っています。他は、礼と智と信。
この5つの心は、それぞれエネルギーの方向性を持っています。互いにつながり、循環しています。
言葉ではわかりにくいのでシンボルで説明するとこうなります。
運命論には因果と因縁があり、非運命論には縁起がある。しかもその言葉はずっと昔からある。
これが運命論者から非運命論者へとパラダイムシフトが起きた、心のしくみの関係をもっと探っていこうと思い立ったきっかけのお話です。
あらためて、昔の教えを真剣に深く見直せば見直すほど、これはきっとすごい掘り起しができる、そう思いました。
現代社会や今の時代に生きる人間が一番賢いなどと浅はかな考えにとどまらず、決しておごらず、これまでの人々におきた気づきや発見を尊重し、過去と現在と未来を信頼することができれば、いろんな発見がありますので人生がもっともっと面白くなります。
人はついつい慢心してしまい今の自分の智の基準だけでものごとを判断しがちですが、それではあまりに思慮深さが足りないことになります。小賢しさというやつですね。まずは過去に対して謙虚になることから始めれば、やがてそれは目に見えない徳から目に見える恩恵にまで変わります。
そういうわけですから、縁起に従えば、人は自分が変わること、そう決めることで未来の運命も変える可能性が出てきます。
じゃあいったい自分の何を変えるのかといえば、これは心を変えることからはじめます。
陰陽五行説に従えば、最初に陰があり、その次に陽ができます。
陰の世界は目に見えない世界なので、人も目に見えない心から変えるということになります。心の持ち方を新しく、縁りて起こすわけです。
心を幸せにする習慣を持つだけで運命が随分変わります。
ガチガチの運命論者だった人間の行き着いた所がそういった当たり前の単純な結果です。考えてみればこれもみな簡易に通じています。
心を変えると運命はどうかわるか?ですが、分かりやすく例えれば幸せな気持ちでいる人がパートナーを欲しいと思った場合と、そうでない人がパートナーを欲しいと思った場合、幸せな気持ちでいる人の方がパートナーを見つけやすいといったことです。
これも考えてみれば当たり前の話で、暗くてどんよりした人と誰もお付き合いしたいとはあまり思わない。
暗くてどんよりに魅力を感じる人は、同じように心に闇を持つ人がほとんどです。どんよりに魅力を感じる理由も簡単で、自分の目の前にいるこのどんよりさんなら、きっと自分のどんよりも理解してくれるはず、シンパシーを感じるからこそ互いに引き合います。
類は友を呼ぶですね。
じゃあ、うまくいく心の持ち方ってポジティブシンキングのこと?ということになりますが、日本には昔からそういう心構えをあらわした言葉がちゃんとあります。その心構えは五常(ごじょう)といって、全部で5つあるので合わせて5文字の漢字です。
それは「仁義礼智信」です。まとめて五常。聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。いわゆるポジティブシンキングとはちょっと違ったイメージです。
昔「仁義なき戦い」という映画がありましたが、その映画タイトルにも使われているのが仁義。これは五つの心構えのうちの二つ、仁と義を使っています。他は、礼と智と信。
この5つの心は、それぞれエネルギーの方向性を持っています。互いにつながり、循環しています。
言葉ではわかりにくいのでシンボルで説明するとこうなります。
ここで五芒星がまた出てきました。心をシンボルになおしたもの。
この図の仁と義を見れば、星に沿って義から仁に矢印が向かっています。
人の心のしくみを構成しているこの二つが欠けるとどうなるのか?
思いやりもやさしさも愛もなく、約束も守られないような、荒んだ心ばかりの裏切りの世界になります。仁義なき戦いというのはそういう意味です。恐ろしい。
この図の仁と義を見れば、星に沿って義から仁に矢印が向かっています。
人の心のしくみを構成しているこの二つが欠けるとどうなるのか?
思いやりもやさしさも愛もなく、約束も守られないような、荒んだ心ばかりの裏切りの世界になります。仁義なき戦いというのはそういう意味です。恐ろしい。
これまでのまとめ
さて、これまで何を言ってきたのかをまとめますと、
1.形には意味がある(シンボル)。
2.それは昔の人が真剣勝負で考えてきた。じっくりやれば今の人たちと同じ優秀な頭が考え出したものだとわかる。縁起という言葉からも推測できるが、昔から人には鋭い洞察力(叡智)がある。現代人は自分たちの時代が最高に優れているなどとおごらず、謙虚さを知るべし。
3.学校で最初に習った勉強は、運命論がベースになっている。運命は決まっているという前提だが変えることもできる(非運命論)。運命を変えるには、心をさわると手っ取り早い。
と、いう感じです。
さらに扉を開くなら「世界中の秘儀の欠片」へ(風水ブログ)。
1.形には意味がある(シンボル)。
2.それは昔の人が真剣勝負で考えてきた。じっくりやれば今の人たちと同じ優秀な頭が考え出したものだとわかる。縁起という言葉からも推測できるが、昔から人には鋭い洞察力(叡智)がある。現代人は自分たちの時代が最高に優れているなどとおごらず、謙虚さを知るべし。
3.学校で最初に習った勉強は、運命論がベースになっている。運命は決まっているという前提だが変えることもできる(非運命論)。運命を変えるには、心をさわると手っ取り早い。
と、いう感じです。
さらに扉を開くなら「世界中の秘儀の欠片」へ(風水ブログ)。