仲屋風水デザイン
感情的になりたくない3つの理由
ほとんどの人が感情的になりたくないと考えているのには、理由があります。
私の場合、感情的になりたくない理由について、今、少し考えてみただけで3つほど出てきました。 それは、
という3つです。 これまでは、体調が悪かったりお腹がすいていたりという単純なことから、よく身近な人(パートナーや家族)に、かんしゃくを起こして当たっていました。 しかも、その理由に気がつかないまま。 「だって、子どもじゃないんだから。そんな単純なことで腹を立てているのではない」 そう思い込んで、本当の理由を見ないようにしていました。 ところが! 気がついていないだけで、お腹がすいていることが怒りのスイッチを押す大きなきっかけになることがよくあるのです。 まさに「怒りのトリガー」です。アクション映画のタイトルみたいです。 ビジネスや話し合いに会食するのには色んな理由があります。 「お腹がすいていないほうが、感情的にならない」 これもうまくいく理由のひとつでしょう。家族やパートナーとの間でも、これを利用しない手はないでしょう。 ただし、ひとつだけ注意点があります。我が家に伝わるほぼ唯一の家訓?のようなもの。 それは、 「食事をしている時、食べている人に文句や愚痴をけっして言ってはいけない」 と、いうことです。 なんぴとたりとも犯すべからず神聖な掟。 どのような人も、ご飯は美味しく食べたいものです。 ご飯で意地悪されると、怨みは残りやすいもの。 「食べ物の怨みは恐ろしい」といいますが、これは「食事時に人に嫌な思いをさせてはいけない」と広く解釈した方が良いと私は考えています。 意外と子どもの食事時にテストの成績や日頃の行いを注意する親御さんが多いようです。 「だって、子どもがじっとしている唯一の時間だから」 そういった理由から子どもにいろいろと注意します。 しかし、注意するのは、ご飯をすませてからに限ります。そっちの方が子どものほうも余裕がでてきて話を聞いてくれますから。 怒りにはエネルギーが必要
人にもよりますが、たいていの場合、年齢を重ねると、若かった頃に比べて怒ることが少なくなっていきます。
角がとれて丸くなる。 「トシを取ると人間が出来てくる」などといわれていますが、どうもその理由のほとんどは「怒ると無駄にエネルギーを消耗してしまって疲れるから、もう怒ることがめんどくさい」ということではないでしょうか? 「怒ること」は、エネルギーをたくさん使い、ヘトヘトになってしまいます。 しかしながら、理不尽なことをされたと感じてしまうと、いつまでも怒りの感情が繰り返しわき上がってきて悶々としてしまうのも人間です。 これは、本当に疲れます。 戦国時代に「憤死」というのがあって、これは怒りすぎて死んでしまうことなのですが、憤死しないまでも怒りで倒れて寝込んでしまうようなことがあったそうなのですが、 そいいう話を読んで、 「いやいや、腹を立てて倒れて寝込むとか、いくら何でも大げさだろう」と考えていたのですが、 自分の感情をどこまでも見つめて受け止めたり、どんどん心のつながりについてやっていくうちに、 これは充分ありえる話だなと最近は考えるようになっています。 人は、自分でこれ以上聞きたくない話はすっかり「なかったこと」にします。 ニュースなどで、悪いことをした人や失敗した人がつるし上げられています。 SNSでは、その態度のふてぶてしさや、反省のなさがひたすら取り上げられ、書き込む人達のストレスのはけ口になっています。 人というのは「なかったこと」にしたくなるもの。 そうでなくても、人は「自分の知りたいことだけ」しか聞かないし見ません。 これは人の性質のひとつです。 悪い人ほど悪いことをしたと知っていますので、普通の人以上に「なかったこと」にしたがります。 ですので、その態度も「なかった」態度になってしまうのは当たり前といえば当たり前のことなんだなぁと考えたりします。 「なかったこと」はエネルギーを消耗しなくてすむ方法なのですね。 自分の「怒り」の感情は、ものすごくエネルギーを消耗しています。 なかったことにしなければ、あるいはできなければ、「怒り」によって倒れたり、時には命もなくなってしまうほど消耗してしまうことも充分ありえます。 怒りを「なかったこと」にしないように、自分の感情をみつめればみつめるほど、それがわかります。 相手の人生にとって、自分はどんな役柄に?
怒りのトリガーが引かれ、感情に巻き込まれている状態の時、人というのは、自分の外に怒りの原因があると信じています。
状況が深刻であればあるほど、怒り続けます。 そういった「怒りの場所」に居続けようとしてしまいます。 その場所から離れることができなくなってしまいます。 目の前に「犯人」や「加害者」「悪い人」がいればいるほど、 どうしても「あいつのせいで自分は不幸になっている」という立場に立ってしまいます。 それは、仕方のないことでもあります。 そして、そういう「悪い人」「悪い出来事」から離れることができれば、楽になります。 「怒り」というのは言い換えれば「不幸な場所に立ち続けるために必要なエネルギー」でもあります。 ここからは、 「怨みを晴らすまで、あくまで不幸を背負い続ける」と決心した勇気ある人以外の人のためのお話です。 とりあえず、今、自分の人生が不幸で居続けることをやめようと思い、なおかつ怒りの下にいる人は、 相手の人生にとって、自分の役割を考えてみることをおすすめします。 相手の人生にとって、自分はどういった役割でいて欲しいと思われているのか? 自分が怒りを発揮することで、 相手の人生にとって、自分が相手の思い通りの役割になっていないか? 「怒り」というのは、 自分が相手の人生にとって、相手の思い通りの役割でいさせようとする「引っぱる力」のようなものです。 そういった役割から離れ、 自分は「相手の人生と関わりのない役割」を手にし、自分の人生を歩んでいくことを決めなおす。 そのために、 「怒りの下にある感情」 を、知ることが大切です。 そのヒントは「怒り」を「なかったこと」にしないこと。 自分を見失わないで、自分の怒りもなかったことにしないで、怒りの先の相手から「自分の怒りの下にある感情」を見つめることができたとき、 人は「ひとつの小さな自由」を手に入れることができます。 人は常に「試されてる」のかもしれません。 |
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